2017/10/26 (木) 22:48:36

歌う人

一時期、カネコアヤノさんの歌・曲がずっと頭の中で流れていて
ライブを観てみたくて9月にようやくそれ実現した。
衝撃的によかったのであるが。
ずっと欲しいと思っていたものをようやく手にしたら、それからあまり使わなかったり読まなかったり、録画した番組をずーっと観ないままでいたりということがあるように
念願のライブを観たら脳内ループもおさまるもんかなと思っていた。
(困るもんではないし、むしろ良いんだけど)
ところがライブを観たら彼女のとりこになってしまい
脳内ループはおさまるどころかその後も一週間近くは彼女の歌が片隅に、一日一回以上は必ず再生されていたのだった。


私は彼女を観たときに、彼女は歌う生き物だと思った。
偉そうな言い方をしてしまうと、歌うために誕生した生物のように見えた。
もちろん、人間の生活をしているの前提でこういった歌ができているんだってのも承知で。

同じ日に、折坂悠太くんも観たけれど
彼にもそれを感じた。

この日に私の中で
歌う人のことを「この方は歌う生物か、歌うこともある生物か」という見方で観る考えが生まれた。
(その後、はじめからそういう目でライブをみるようになったわけではないが)
うまいへたの判断じゃないし、優劣を判断するものでもない。
自分が大好きなミュージシャンを思い浮かべても、後者の人はいる。
まぁただ歌う生物には憧れる。
私は、後者のタイプだと思った。







昨日、みんなやけに遠藤賢司のことを話題にしているなぁ、と思ったら
人生から旅立たれたという事実を知った。
びっくりしてから、「そうか、悲しいな。仕方がないな。」ぐらいでフムと冷静になっていたけれど
ふつふつと、数年前に梅小路公園の京都音楽博覧会で観たエンケンの模様を思い出していた。
だだっ広いステージに一人立つエンケンは
レスポールの音をボーボーに歪ませ、
それを弾きながらドラムを叩いて歌っていた。
一人の人間が歌を歌って楽器を演奏しているというよりは
一人の人間から音を鳴らしているようなそんなパフォーマンスだった。
そのときのライブの空気感や、
機関車館に展示されている機関車の汽笛が
「夜汽車のブルース」の絶妙なタイミングで鳴ったミラクルも
忘れられない。
もしかしたら、彼こそ私が初めて観た、「歌う生物」だったのかなぁと思う。


一度しか観ていないし、
CDを一枚は持っているけれど日常的には聞いてこなかったし、
あまり自分の心の中には彼はいないのだと思っていた。
そういう、ちょっと遠い人だからそんなに悲しみを引きずることはないのだろうと思っていたが
今日になっても朝食を食べながらさめざめ泣いていた。
悲しんでもいいのだと思いながら泣いたり食べたりした。
思ったよりショックだ。
「思ったより」っていうのが、頭と心はやっぱり別なんだなぁ。
もうなんか、たぶん、何年も前のあの一度のパフォーマンスで我々観客はなにか愛をもらっていたのかもしれない。
とても背中の大きい音楽家が、世界からいなくなってしまったよ。


そんなわけで昨日いろいろ思って
行くかどうか迷っていたコーネリアスのチケットまだ買えるかな…と調べたら
もうチケットは売り切れていた。
今頃スタジオコーストはバキバキに熱いかな、
遠征の支度もしなくちゃあな、と思いながら
そういう夜です。


 
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